北澤毅 片桐隆嗣 『少年犯罪の社会的構築』
今日も全世界でおこっているさまざまな犯罪や事件。そうした出来事の概要を知る手だてとして、テレビやラジオ、新聞などマスメディアによる報道を挙げる人がほとんどだろう。私たちは、それらの犯罪や事件の現場にいたわけでもないのに、ついマスメディアが流す情報を「事実そのもの」と受け取り、その出来事の一部始終を「知った」つもりになってしまいがちだ。
本書は、そうした問題意識を出発点として、新庄市立明倫中学「マット死事件」(一九九三年一月)を題材に、二人の社会学者(その一人・片桐は米沢市生まれ、東北芸術工科大学教授)が、「社会的構築」という概念を用いて「少年犯罪(事件)というものが人びとによってどのようにつくられていくのか」を明らかにしたものである。被害者遺族、容疑少年、警察、裁判所など「当事者」たちがどのように「事件」を共同構築していったのかを多角的に検証しつつ、従来の報道の枠組とは異なる、新たな「少年犯罪の捉えかた」を提示する。
「社会的な規範や制度や出来事は人びとから独立して客観的に存在しているわけではない。それは人びとが語る言葉によってつくりあげられる」と考えるのが「社会構築主義」である。本書が取り上げた「マット死事件」における社会的構築を考える際、私たちはつい、事件の直接の当事者やそれを報じてきたマスメディアだけを「事件」の構築に関与するメンバーとして捉えてしまいがちだ。しかしながら、本書それ自体はもちろん、本書に触れて感じたことを語っている筆者やそれを読んでいるあなたも、そのメンバーに含まれるのである。
特に注目してほしいのは、「マット死事件」を扱う際の、新聞三社(山形新聞、朝日新聞、読売新聞)の取り上げかたの違いを比較検証した箇所だ。「報じかたの違いはあれど、事実はひとつ」――そう錯角してしまいがちな私たちに、本書はメタ視点をインストールする機会を与えてくれるだろう。マスメディアがたれ流す「わかりやすい物語」に、無自覚に流されないためにも、必読の一冊だ。
評: 松井 愛(山形市)
by plathome04
| 2010-01-15 23:00
| 教育現場から見たヤマガタ
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