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ヤマガタ発!


山形出身/在住の文化人や作家の作品、山形にまつわる著作を紹介する企画です。
by plathome04

鈴木淳史 『占いの力』

占いの力 (新書y)

鈴木 淳史 / 洋泉社


テレビ番組や雑誌など各種メディアにごく当たり前に登場する「占い」。私たちが日常の中で何気なく接している「占い」の社会的な意味や機能を易しく解き明かし、それらとの上手なつき合いかたを考察したのが、本書である。クラシック批評、2ちゃんねる批評に続く三部作の完結篇だ。著者は寒河江市出身のフリーライター。

「占い」を語ろうとすると、私たちはつい「信じるか/信じないか」という紋切り型の思考に陥ってしまいがちだ。曖昧さを許さないこの二者択一を著者は慎重に避け、そうした思考が取りこぼしてしまう領域にこそ「占い」の役割があると見る。これはどういうことか。私たちは偶然に翻弄されつつ根源的な不安の中を生きるしかないか弱き存在だ。予期せぬ病気に突然かかってしまったり、ヤマが全部はずれて試験に不合格だったりと、情報化がどんなに進もうとも、私たちは偶然性のリスクから逃れられない。近代社会は近代科学という「大きな物語」により偶然を飼いならし、統制しようと試みてきたわけだが、それでも不安の全てを解消するのは不可能。とりわけ近代科学という解釈装置は、私たちの日常の瑣末な諸問題にとってはあまりにも役立たずだ。そうした曖昧で卑小な領域を補完し、私たちの日常に解釈や指針を与えてくれるのが「占い」という「小さな物語」なのである。従って問われるべきは、その真偽ではなく、その豊かさや貧しさである。本書が執拗に記述するのは、まさにそうした「占い」という物語を私たちが使いこなすための条件、コミュニケーション・ツールとしての「占い」の力なのだ。

「占い」の下らなさや無意味さを笑うのはたやすい。だが、その卑小さとは、それを必要としてしまう私たち自身のありようそのものだ。そうしたちっぽけさを、著者は、そうであればこそ人は美しく愛すべきもの、と全面的に肯定する。同感だ。そこにある寛容さこそ、ますます多様化し猥雑になっていく世界で、私たちがともに幸福に生きていくための条件なのだから。

評: 滝口克典(東根市)
# by plathome04 | 2009-12-27 17:37 | 宗教は社会とどう関わってきたか

加納寛子・加藤良平 『ケータイ不安』

ケータイ不安―子どもをリスクから守る15の知恵 (生活人新書)

加納 寛子 / 日本放送出版協会


内閣府調査によれば、児童生徒のケータイ所持率は、小学生三割、中学生五割、そして高校生九割とのこと。多くが、電子メールやウェブサイト等のサービスをごく普通に利用している。こうした情報環境のもと、親たちの多くは不安を募らせている。想定される主なリスクは二つ。第一が、有害サイトへのアクセス、第二が、ネットいじめやメール依存などによる対人関係の歪みである。二〇〇八年末には、人びとの不安に乗じる形で、政府や自治体が小中高校へのケータイ持ち込みを禁止するという動きが各地で見られた。

だがこうした規制強化は、見た目はともかく、実質的には何の解決にもならない。子どもたちのコミュニケーションが地下に潜るだけだ。ではどうするか。禁止でも放任でもない「ケータイ不安」の解消のしかたとは何か。その解決策を易しく語り明かした情報教育の入門書、それが本書だ。情報技術や情報社会が専門の二人による共著である(著者の一人・加納は山形大学学術情報基盤センター准教授)。

著者曰く、親たちの不安は、子どもたちがアクセスするネット社会についての無知に起因する。であれば、まずはその無知を解消し冷静になること。このため、本書はまずネット社会の構造と現状とを平易に描く。続くパートでは、具体的なトラブルに対処するために親が身につけるべき一五の基本的な知恵が紹介される。「まずは親自身が体験」「親子で一緒に無理のない利用ルールをつくる」「子どもの利用状況を定期的にチェック」など、それぞれが具体的で実践的だ。

興味深いのが、親子間のコミュニケーションを通じた合意形成とそれに基づく信頼関係の醸成、という本書全体に通底する家族観である。過度に機能解除が進んだ現代家族の空虚な実態を考えると、著者の提案はどれも敷居が高い感じがするが、消費以外に結束の軸をもてずにいる解体寸前の家族にとって、それは新しい紐帯のきっかけになるかもしれない。その意味で、情報社会の家族論としても読める一冊だ。

評: 滝口克典(東根市)
# by plathome04 | 2009-12-27 16:58 | テクノロジーとその受容

山平重樹 『実録 神戸芸能社』

実録 神戸芸能社―山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界

山平 重樹 / 双葉社


戦後日本芸能界の基礎をつくったとされる興行会社・神戸芸能社。昭和の歌姫・美空ひばりや日本プロレス界の父・力道山の才能を見出し、その興行を強力にバックアップしたこの会社の社長が、近代ヤクザの代名詞的存在である山口組三代目組長・田岡一雄(一九一三-一九八一)である。

本書は、戦後芸能界の黎明期に当たるこの神戸芸能社(一九五七年発足。前身が山口組興業部)の歩みを、田岡と彼を取り巻く昭和の綺羅星たちに焦点を当て、丁寧に追いかけたルポルタージュだ。著者は、ヤクザや右翼など近代日本のアウトローを描いた著作の多い長井市出身のフリーライター。

本書の特徴は、単なる暴力団のフロント企業としてではなく、それまで前近代の慣習に埋没していた芸能・興行の近代化や事業化に本気で取り組もうとした堅気の集団として、神戸芸能社を描き出した点にある。この理解には著者のアウトロー贔屓も多分に作用していようが、ヤクザという存在の、近代日本における地域社会との蜜月関係を想起するなら、そうした解釈もありである。

元来ヤクザという存在は、明治後期、資本主義の急速な確立という近代国家の要請下で形成された都市下層社会、炭鉱地域社会、港湾地域社会など市民社会の周縁部で生まれた。法治の及ばぬそれらの場では、農村から流入した雑多な人びとを束ね、暴力を担保に秩序を維持する社会的権力が求められた。これがヤクザの起源である。放浪芸が主であった近代日本の芸能者たちが、地域社会の顔役だった彼らと密接な関係を築いていたのも当然と言えば当然の話だ。

やがて一九六〇年代後半には、警察行政による暴力団取締りとテレビの普及とが、ヤクザと芸能界の蜜月を解体していく。神戸芸能社もまた、そうした歴史の中で幕を閉じた。そして四〇年。私たちの目の前には、空洞化した地域社会と空虚なテレビ文化とがのっぺりと広がっている。こんな時代の、こんな私たちだからこそ読むべき一冊だ。ノスタルジーではなく、現在を相対化しそこから自由になるために。

評: 滝口克典(東根市)
# by plathome04 | 2009-12-20 23:28 | 日本経済の現場から

彩坂美月 『未成年儀式』

未成年儀式 (Style‐F)

彩坂 美月 / 富士見書房


その災厄は突然に訪れる。夏休みの間、帰省せずに街から離れた山あいの女子寮で過ごすことになった数名の光陵学園の女生徒たち。突然に大地は揺れ、建物が軋みをあげ、次々と容赦なく襲い来る恐怖。不安と焦燥が支配する絶望の中、彼女ら自身の内なる闇をも揺さぶり、さらに混迷は加速していく。世界の、そして少女たちの輝く未来はここで終わってしまうのか。極限の中で七人の少女たちは…。

「第七回 富士見ヤングミステリー大賞」準入選作。そこで「新しい青春小説」と評価されたように、実質はミステリーより青春小説に近い。

奥附にひっそり記載してあるだけなので、一見しては目立たないものの、本書は富士見書房のライトノベルレーベル「Style‐F」での刊行。そもそもライトノベルとは何か。広義には各出版社にある中高生向け小説(主に文庫)の総称で、マンガやアニメ、ゲーム等と並ぶ、オタクマーケットを形成する人気ジャンルの一つ。キャラクター小説の意味合いが強いが、明確な定義づけや線引きはされていない。

そういった部分を考慮して本書を読むと、意外な面白味があることに気づく。ミステリー作品賞に応募して、そこで青春小説として評価され、結果ライトノベルとして出版されるという、多数のジャンルを跨ぐ不思議な経緯を辿った作品なのだ。

とは言うものの、ミステリー要素はとってつけた感があるし、青春小説としては人物造形があまりにも記号的。世界の破滅を願うゴスロリ風少女を始め、七人の少女のたちはまるで美少女ゲームのキャラクターのようである。

しかし、災害に見舞われるというシチュエーションと相まって、そういった多くの要素を一気に読ませる勢いと熱がある。天童市出身の著者は本書がデビュー作という。新人作家らしい未完成さだが、それは、少女時代の未成熟さを描いた本作のテーマともリンクし、相乗効果を生み出している。

全てにおいて中途半端と批判することは容易だが、偶発的に生み出されたそのカオスな雰囲気こそ、むしろ本書の積極的な魅力と言えるだろう。

評: 矢萩竜一(天童市)
# by plathome04 | 2009-12-15 02:52 | ヤマガタの文学

五十嵐敬喜 『市民の憲法』

市民の憲法

五十嵐 敬喜 / 早川書房


二〇〇七年に成立し、二〇一〇年に施行される国民投票法。これにより、戦後一度も実現しなかった日本国憲法の改正が、現実に可能となる。ところが、憲法をめぐる議論は、相変わらず右派の「九条改憲」と左派の「九条護憲」とのイデオロギー対立に終始している。テロや紛争などの現実的なリスクに対し、前者はあまりに短絡的にすぎ、後者はあまりに呑気である。加えて、現行憲法の問題や課題は、必ずしも九条のみに限らない。

本書は、さまざまな領域で破綻や断裂を示す私たちの社会や政府の現状に対し、それらを現行憲法の課題や問題と関連づけて整理し、それを踏まえた上で、私たちが望む社会や政府を構築していくのに必要な憲法とはどういったものかを明らかにしようという試みである。著者(河北町出身)は、弁護士として不当建築や都市計画の被害者救済などに奔走、公共事業のはらむ問題などを早い時期から指摘し続けてきた。その徹底した市民目線は、憲法論においても健在だ。

著者が現行憲法の課題と見るのは、「お任せ民主主義」の下での市民の臣民=統治対象化であり、彼らから受任したとの名目による官僚権力の肥大化である。この課題と対峙するために本書が掲げる根本原則が、市民自身による参加型の直接民主主義だ。そこでは人びとは自らの決定により政府そのものを創り出す主権者であり、そこで創られる政府とは、市民が直接政治参加できるしくみを意味する。この観点から、本書は、現行憲法の人権論や統治機構論を大胆に書き換えていく。例えば、前者については外国人の権利や環境権が、後者については議員立法を補完する市民の立法府、大統領制、行政訴訟の促進、憲法裁判所、課税自主権に基づく財政民主主義、国連軍・国連警察を活用した危機管理体制などの構想が提唱されている。

私たち市民が国家権力と対峙するために欠かせぬツールである憲法。しかし、その内実に関し、私たちはあまりにも無知、無頓着なままだ。本書をきっかけに、私たち自身の民主主義リテラシーをあげていこう。

評: 滝口克典(東根市)
# by plathome04 | 2009-12-13 17:36 | 教育現場から見たヤマガタ
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