カテゴリ:テクノロジーとその受容
本書は、インターネット検索サイト「グーグル」を利用したマーケティング手法を紹介する初心者向けハウツー本。著者はホームページ制作・運営とWEBコンサルティングを専門とする企業経営者で、山形市出身である。
そもそもマーケティングとは何か。「商品やサービスが売れるしくみを構築すること」というのがその定義だが従来それは大企業や専門家だけが関与し得る高度な知的技術とイメージされてきた。だが、「グーグル」の多様な機能を使えば、誰もが容易にマーケティングを行えるという。それが本書の提唱する「検索マーケティング」だ。
ネットコミュニティにおいて「ググれ」などのスラングが当たり前に使われる現在、インターネット利用者であれば、誰でも一度くらいは検索サイトの利用経験があろう。しかし、通常使われる「ワード検索」以外の機能を有効活用している人はまだ多くはない。
設定したキーワードに関する新着情報をメールで知らせてくれる「グーグルアラート」。それがどのくらい検索されたかを時系列のグラフで示す「グーグルトレンド」。ホームページのアクセス解析を行う「グーグルアナリティクス」等の機能は、使いこなせば強力なマーケティング・ツールになり得る。それらを、スナック菓子「暴君ハバネロ」やカフェ・チェーン店「スターバックス」等、おなじみの例をもとに、わかりやすく解説してくれる。
とはいえ、なぜ著者は、他の検索サイトではなく「グーグル」にこだわるのか。良質で多彩な機能を積極的に無償提供する「グーグル」の社風に惹かれ、そのブランドを自発的に他人に広めようとする自身のことを、彼はエヴァンジェリスト(布教者)と自己分析する。微笑ましい理由に聞こえるが、実はそれこそがこれからのマーケティングの最重要ポイントなのだと著者は言う。消費者やユーザーに愛され、彼らに口コミで「布教」してもらうことこそが成功への鍵になるのだ、と。
インターネット初心者、そしてマーケティング初心者というあなた。本書を片手に、まずはその一歩を踏み出してみよう。
評: 矢萩竜一(天童市)
サブカルチャーの一ジャンルであるマンガ・アニメは、今や日本の文化として、世界中でブームになっている。また、マンガ・アニメ等に深く傾倒している趣味人=「オタク」は何ら珍しい存在ではなくなり、作中のキャラクターを愛でる際のオタク用語「萌え」――そこには、「かわいい」「ときめく」といった感情が何重にも含まれる――も一般化して久しい。日本では、「オタク」にまで至らないような人でも、携帯電話のストラップがSDキャラだったり、企業のマスコットキャラに「かわいい」と騒いだりしている。
そんな日本人の独特な感性は、一体どうやって培われてきたのか。時代小説家であり、マンガの原作やアニメの脚本も手がける著者(米沢市出身)がそのルーツを辿る。
本書の構成は、現代のマンガ・アニメと「萌え」の始祖として手塚治虫作品を中央に据え、時代小説家の観点から、主に江戸文化と照らし合わせつつ「萌え」を読み解く形になっている。手塚の描く、艶めかしく変身するヒロイン。自分を犠牲にして弱者を助けるヒーロー。そして単純な線で丸く小さく描写されたキャラクター。そのルーツは、歌舞伎や女剣劇、チャンバラものやアニミズム(自然崇拝)にある、といった具合である。著者の考察には「なるほど」と肯く部分も多々ある。
ただし、気になる点がある。第三章冒頭に「「萌え」という言葉は…(中略)…その定義はいろいろと発表されていますが、私にはいま一つ理解できませんでした」とある。著者の「萌え要素」(メガネっ娘らしい)も明かされてはいるのだが、「萌え」という感性が結局のところ何であるのか、読んでいる側にはさっぱり理解できない。要は「萌え」に対する考察が浅すぎるのである。巻末の参考資料がその証拠だ。発刊当時、すでに「萌え」考察本は相当数出ていたはずなのに、それらがまるで見当たらないからだ。
その意味で本書は、「萌え」る人びとの欲望の向かう先を示す典型的なサンプルとなっている。なぜ彼らは「江戸」へ向かうのか。本書を資料に、この謎について考えてみよう。
評: 今村祐子(米沢市)
著者(東根市出身)の専門は数学。数学のロマンと感動を多くの子どもたちに知ってほしいとの思いから「sakurAi Science Factory」というプロジェクトを立ち上げ、二〇〇〇年より「サイエンス・ナビゲーター」として映像と音響を駆使したパフォーマンスを全国各地でおこなっている。身近な話題や数学者の人間ドラマを通して、さまざまな切り口から数学世界をわかりやすく提示する、というのが売りだ。
本書は、おなじみの漫画『ドラえもん』を取り上げ、それを科学的に読み解いてみようというもの。『ドラえもん』で読む科学・数学入門である。
ドラえもんの秘密道具はどれも魅力的だが、中でも人気なのは「どこでもドア」だろう。驚くべきことに、この「どこでもドア」は、科学的に実証可能な段階まできているとのこと。量子力学における「量子テレポーテーション」(量子もつれによって離れた場所に量子状態が転送されること)で説明が可能なのだという。
他にも、「もしも本当にドラえもんが誕生したら」というトピックがあるのだが、人びとがそれを望むなら、ドラえもんは大量殺戮兵器にさえなってしまうだろうと著者はいう。『ドラえもん』の物語世界のあの平和さは、作者である藤子・F・不二雄の平和への願いがそこに投影されているからだろう。
科学や数学など、名前を聞くだけでアレルギー反応を起こしてしまう人も多い。ところが、『ドラえもん』で読む科学・数学入門にはつい耳を傾けてしまう。これはなぜか。著者は、ドラえもん自体が、科学・数学の先生というよりは、同士や身内のような存在だからだろう、と語っている。
私たちがかつて何気なく目にしていた『ドラえもん』。科学的視点で読む人が増えてくれば、学校の教科書にこの作品が載る日もそう遠くないかもしれない。ちなみに、本書の最後には、『ドラえもん』の秘密道具の中で、既に実現しているものの一覧が掲載されている。こちらもぜひ逃さず見てほしい。
評: 宍戸浩介(山形市)
内閣府調査によれば、児童生徒のケータイ所持率は、小学生三割、中学生五割、そして高校生九割とのこと。多くが、電子メールやウェブサイト等のサービスをごく普通に利用している。こうした情報環境のもと、親たちの多くは不安を募らせている。想定される主なリスクは二つ。第一が、有害サイトへのアクセス、第二が、ネットいじめやメール依存などによる対人関係の歪みである。二〇〇八年末には、人びとの不安に乗じる形で、政府や自治体が小中高校へのケータイ持ち込みを禁止するという動きが各地で見られた。
だがこうした規制強化は、見た目はともかく、実質的には何の解決にもならない。子どもたちのコミュニケーションが地下に潜るだけだ。ではどうするか。禁止でも放任でもない「ケータイ不安」の解消のしかたとは何か。その解決策を易しく語り明かした情報教育の入門書、それが本書だ。情報技術や情報社会が専門の二人による共著である(著者の一人・加納は山形大学学術情報基盤センター准教授)。
著者曰く、親たちの不安は、子どもたちがアクセスするネット社会についての無知に起因する。であれば、まずはその無知を解消し冷静になること。このため、本書はまずネット社会の構造と現状とを平易に描く。続くパートでは、具体的なトラブルに対処するために親が身につけるべき一五の基本的な知恵が紹介される。「まずは親自身が体験」「親子で一緒に無理のない利用ルールをつくる」「子どもの利用状況を定期的にチェック」など、それぞれが具体的で実践的だ。
興味深いのが、親子間のコミュニケーションを通じた合意形成とそれに基づく信頼関係の醸成、という本書全体に通底する家族観である。過度に機能解除が進んだ現代家族の空虚な実態を考えると、著者の提案はどれも敷居が高い感じがするが、消費以外に結束の軸をもてずにいる解体寸前の家族にとって、それは新しい紐帯のきっかけになるかもしれない。その意味で、情報社会の家族論としても読める一冊だ。
評: 滝口克典(東根市)
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